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99年夏北海道ツアー(道東〜道北編)
〜そもそも去年98年に一度北海道ツアーに行ったのだが今度は知床や宗谷まで行きたいと思い、同部員
のいか氏を連れて旅立ったのがはじまりである。ところでいか氏も“N氏のほのぼのツアー”と題して今ツアーの模様を掲載しているが彼の記憶よりも私のほうがより真実に近いと自負している。〜
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走ったコース:摩周駅〜道道52号線〜摩周湖第1展望台〜道道52号線〜摩周温泉〜国道243号線〜
標茶町〜道道13号線〜中標津町〜道道69号線〜道道774号線〜道道863号線〜
標津町〜国道244号線〜国道335号線〜羅臼、斜里町〜国道334号線〜斜里〜
国道244号線〜網走〜国道238号線〜稚内〜国道40号線〜稚内駅
8月20日 晴れ 高崎駅〜新潟駅(輪行)
JR新潟駅
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地獄のような信州合宿が終わり、はっきし言って精神的にも体力的にも9分9厘死んでて虫の息状態そのものであった。こんな状態で北海道へ渡れるのかという、まるでケンシロウと戦ったファルコが傷も癒えぬうちに修羅の国へ渡るようなものである。(ついマニアックな表現をしてしまった・・・。)合宿の打ち上げで酒に酔いつぶれた、いかじゅうさんを引き連れ、高崎からムーンライトえちごに午前1時ごろ乗り込んだ。この電車は全車指定席でけっこうゆったりしていて、冷房も効き、かなりくつろげたと思う。途中土樽や越後湯沢などトンネルをぬけ、“ここが川端康成の雪国の舞台かぁ”などとぼんやり思いながら転寝をしているうちに早朝5時になり新潟に到着した。
駅構内を出ると、いかじゅうさんは早速自転車を組み颯爽と去っていってしまった。で、私はと言うと、どうもまだ寝たりなかったので周りの視線を気にせず駅寝を始めた。。。8時だったか9時だったか、ようやく起きる気になり自転車を組んで近くのパン屋へ朝飯を買って食った後、観光案内所に行きスタンプ収集、それからコインランドリーの場所を教えてもらい洗濯しに行った。洗濯後駅に戻ってくると偶然いかじゅうさんに会い、昼飯を買いにダイエーに行ってうどんとかき揚げなどを購入。信濃川の河川敷でお湯を沸かしたりなんかしてうどんを食べた。(この信濃川河川敷は1回生の時の東北夏合宿の起点であるがゆえ、かなり懐かしかった。)ところでこの日はたいへん天気がよく東北へ来ているのにある種大阪並みの猛暑だった。。。たいへん暑いのでダイエーに涼みに行きアイスクリームなんかを買って時間を潰した。しかし北海道に行くのに何故新潟なんかで油を売っているのかというと、8月20日分のフェリーの予約が取れなかったんですよ。。
そうこうしているうちに夕方になり、そういやぁ〜明日乗船するフェリーの下見でもしておこうと新潟港まで自転車を走らせた後、いかじゅうさんと河川敷で再び再会、晩飯をどうするかということになって、作るのも面倒だし食べに行こうということになった。で、どこに行ったかというとイトーヨーカドー内の家族亭。食前にはフェリー内で食べるカップめんなども購入した。家族亭を出たあとなんとなくアミューズメント広場に赴き適当に遊んだ後、どうやら閉店という事で追い出され信濃川の河川敷に舞い戻りそこのベンチで寝た。(ところで1999年の8月中旬といえば覚えている方もいらっしゃると思うが関東地方で大雨による大惨事があって河川敷などにはテントを張ったりキャンプをするときには要注意などと言われていた。そしてこの日も天気は下り坂、雷を伴い強く降ってるところもあり次第に雨になるでしょうという情報を入手し、こんな河川敷に寝てて大丈夫かぁ〜新潟駅に非難した方が・・・とそのことをいか氏に報告すると、なんとも落ち着いた風情で空を見上げ“この雲行きからすると〜問題ないでしょう。”と述べていた。というかいわゆるあらゆる難を乗り越えたツワモノ的発言!!)
8月21日 晴れ 新潟港〜新日本海フェリー(輪行)
新日本海フェリー
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朝起きて早速フェリー乗り場に行った。手続きをして乗船。でこの日はというとずっと船内にいましたね。途中カップめんを食ったり風呂に行ったり、甲板にでたり、TVをみたり、うろうろしたりでこれといったことはやってないです。夜には普通に寝たし。全然面白くないでしょ。
8月22日 曇り 小樽港〜摩周駅(輪行)
小樽運河
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この日は一日中輪行デーだ。小樽港に朝の4時ごろ降り立って、忙しなく小樽観光をした。小樽運河に北日本倉庫・・・まあこれといって感動するものではなかった。。とりあえず写真を撮って終了。ところでそんなにゆっくりしていられない・・・というのも小樽駅から6:00の札幌行きに乗らなければならないからだ。慌てて駅に行って自転車を輪行・・・の前に朝飯が食いたくなった。が、しかし小樽駅近くにコンビニがない。。。朝も早いので駅構内の売店は閉まっている。。。しかたなくいかじゅう氏にわざわざ少し走ってパンか何かを買いに行ってもらうこととして、先に自転車の方を解体し始めた。(後でわかったことだが、ちゃんと歩ける範囲内にセブンイレブンとセイコーマートがあります。)
6:00になり札幌行き快速列車に乗り込む。列車の中でいかじゅうさんの買ってきた朝飯を食べた。6:45に札幌駅着。7:00札幌駅発で8:42に滝川駅に着き、とりあえず9:35滝川発のものすごく長距離を走る列車を待つこととした。その列車はと言うと9:35滝川発で17:15釧路着という昼間最も長距離を走るもので、時刻表の関係上このダイヤを使うことがもっとも有効的だと言うことが調査済みなのである。とりあえず時間もあるので昼飯を買いに滝川駅付近をぶらついた。が、コンビニが見当たらない。駅前にたしかダイエー系列かなんかおっきなスーパーかなんかがあったような気がするけど、まだ開店時間じゃないし殆ど腐ったようなしけしけ状態である。しかたなくその辺を歩いてる人に“近くにコンビにかなんかありませんか?”と聞いてみると、滝川付近にはコンビニがないとのこと。しかたないがお腹はすくので、特に食べたいと思わないが、ミスドがあったので、ドーナツいくらか購入した。駅に戻って来ると、キオスクで助六みたいのがあったのでそれも買った。予定の時間が近づいてきたので、1番ホームに行くと、1両編成の薄汚い白いボディに黄緑色の帯の列車がポツンと佇んでいる。。。まさか・・・この列車か・・・行き先を見てみるとちゃんと釧路って書いてある。。。こんなんが本気で釧路まで走るんか?と思ってしまうくらいの見た目なんです。まあ乗ってみると、1両で充分というくらいの乗客なんですが・・・。途中富良野で2両になり、帯広で4両になったと思う。しかしまあ何回も乗り換えするよりは楽なんだろうが、疲れるねー同じ列車というのも。んで17:15になり、釧路駅に着いた。
とりあえず駅近くにある長崎屋で今晩のそばと明日の朝パンを購入した。で、本当はこの日は“緑”って言う無人駅で野宿する予定であったが、どうも天気が良くなく釧網本線の列車も遅れているみたいなので、そんな秘境のような駅で寝泊りするのは、ちと抵抗があるので、いかじゅうさんの依頼で少しばかり集落のある摩周駅までということになった。釧路から摩周駅へ、駅に着いたときには8時を過ぎていたと思う。ここ摩周駅は有人駅だった。で、駅員さんが駅は閉まるけどその辺だったら寝てもいいよって言ってくれたので心置きなくテントを張らしてもらった。晩飯はきざみあげとワカメのそばでした。〜それにしても霧が深い、信州合宿の後遺症か、こんなんじゃ摩周湖なんて・・・〜
8月23日 濃霧のち晴れのち曇りのち雨 摩周駅〜緑ヶ丘森林公園林間キャンプ場
摩周湖第一展望台
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この日朝早く起きた。というのも摩周湖を見るためで、摩周湖は夏場早朝と夕方が見るチャンスだと下調べしていたからだ。朝ごはんも食わず(展望台で食った。)、いかじゅう氏を無理やり起こして、出発した。暫く上りが続き、いかじゅう氏は完全なダルダルモードであった。。。わたしはと言うといかじゅう氏いわく、はきはき上っていたとのこと。このやる気を信州合宿に発揮してほしいと彼のホームページに書いていたけど、確かに摩周湖は気合が入ってたと自分でも思う。。。颯爽と上り詰めた後、摩周湖第1展望台まで到着した。ところで、昨日の夜といい、今朝の濃霧の状態といい、まあたぶんきれいな摩周湖は望めないだろうと思って恐る恐る湖面を見てみると、なんと!うそのように澄んでいるではないか!!霧の摩周湖じゃなかったはずでは?と思うくらい綺麗に見えた。いかじゅう氏もこれに関しては絶賛していた。ここでおよそ1、2時間は時間を潰した。土産もんやをうろついて、写真を何枚も撮って、なんかソフトクリームかいもだんごかも食ったっけか・・・。だいぶそこにいたけど、一向に霧って来ることのない摩周湖に少し疑うくらいであった。それで十分満足したし、今日の目的地である開陽台に向けて出発した。
途中、去年も行った道の駅摩周温泉にまたしても立ち寄ってしまった。お昼には虹別のAコープあたりで適当に済ませ、ホクレンで燃料の供給をして旗二本をゲットしました。で、そろそろ午後の3時を回ってきたし、中標津市街のマルエー温泉で一風呂浴びた後、スーパーマルエーで買出し、今晩の目的地である開陽台キャンプ場に向けて走り始めた。が、どうも天気が思わしくない、と、さらにポツリポツリときているではないか!こんな状況で開陽台に向かってもと思い、いかじゅうさんに相談してこの日は少し手前の緑ヶ丘森林公園林間キャンプ場で泊まろうと言うことになった。ここはというと市街地から近いのだが、公園キャンプ場というだけあってけっこう奥まっているところにあり面倒だった。施設の料金は100円だったかな・・・。で、早速晩御飯を作っていると蚊の大群に見舞われ、ご飯を炊いてレトルトのカレーを温めた後すぐにテントにもぐりこみテントの中で食事をした。あと白身フライを食った。と案の定雨も降ってきた・・・夜なんかけっこう本降りだった。。。ところで雨も降っていることもあり、この日は飯を食った後そのまま全部ほりっ放しで就寝した。(というか合宿中とか後片付けが面倒なんですよね・・・)
8月24日 曇り時々雨 緑ヶ丘森林公園林間キャンプ場〜ポー川史跡自然公園キャンプ場
ポー川史跡自然公園
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朝起きるとちょっとしたダメージがあった。昨日の夜飯を作りっぱなしで寝たため、外に置いてあった米がカラスにやられたのと、バーナーが1本雨で不調になっていた。(とりあえず復帰したが・・・)しかしメリットもあった。汚れた食器やコッフェルを外においてあったことで、雨でふやふやにこびりついた汚れが取れやすくなり、さらにカラスがついばんでくれた甲斐があってか殆ど残飯が出ずに軽くスポンジで洗い流すだけで食器ともども綺麗にできた。だからこれからというもの洗物は次の日の朝にするということになっていった。
で、この日の走行日程であるが天気が思わしくないため、どうも走る気が起こらない。わたしたちだけではなく周りのキャンパーもテントから出て活動しようという意気込みの人間もいなかったような・・・。ましてや開陽台なんて天気が一番ものを言う観光スポットであり、やるきもでないはずである。テントの中でだらだらした後、午後の2時ごろ開陽台をあきらめ、ルート変更しポー川史跡自然公園キャンプ場に向けて出発した。途中サーモンパークというなんとも物寂しい施設があり、ここで一服。サーモンパークはお金がかかるようなので、しかもたいした施設じゃないのに500〜600円かかるようなのでパスして、隣の売店でぶらぶらして鮭の遡上をズバリ当てて商品をもらおう的なアンケートがあったので、それを投函してその場を去った。
夕方キャンプ場に着き、このキャンプ場はなんか竪穴住居やカリカリウス遺跡、その他農機具などちょっと怪しい物がそろっているところであった。さらにこれから秘境のヒグマの出没する知床に向かう人間に追い討ちをかけるようにヒグマの剥製が・・・。こんなん見せられてはねえ・・・困りますねえ・・・。で、キャンプ場の受付を済ませた後、管理人がキャンプ場の奥地にはテントを張らないでとのこと。どうやら熊が出るらしい。。。(どうやら本格的になってきましたねぇ。)わりと広いキャンプ場なのに、テントを張っていい場所はトイレの前のほんの4畳半くらいの敷地だけで、客は我々2名だけだった。この日も前日と同じく夜中雨が降っていた。晩は牛丼だったような・・・
8月25日 曇り ポー川史跡自然公園キャンプ場〜知床国立公園羅臼温泉野営場
羅臼温泉付近
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朝ご飯を食べたあと、キャンプ場に併設されている博物館があったので見学しました。明治時代の小学校の復元されたものや農家の道具、熊の剥製などで各施設にコメントノートがあったらしく、いかじゅう氏は俺の名前を使ってイタガキしたとの疑い・・・まあ後で別のところで住所入りでいかじゅう氏へのイタガキで仕返ししてやったが・・・。と、早々ゆっくりもしていられないので、いか氏を呼んで出発することに。
途中展望閣で国後島を遠めに眺めた後、ちょっとした羅臼峠を通過し、いくたという店でお昼のカップめんとパン、晩飯のレトルトシチューなどを買い込んだ。そして暫く行くと今年できたと思われる道の駅知床・らうすがあり、そこでぶらぶらした。この道の駅のスタンプには加藤登紀子が歌う知床旅情の歌が刻まれていて、道の駅にいたおばちゃんが“この歌知ってる?けっこう若い人は知らんかったりする”と言っていたが、けっこう有名な歌なので知ってると答えたら、若いのにすごいねぇみたいなことを言ってたような気がする。またこの辺はちょっとした観光スポットでもあり、近くに光苔洞窟があったのだが、ルートから反れるし少しばかりアップだったのでやめてキャンプ場のほうに向かうことにした。途中に羅臼ビジターセンターなるものがあって、ヒグマの生息地だとかいいったような資料やフイルム、情報などがただで閲覧でき得したような脅かされているような気分だった。
ようやくキャンプ場に着いたと思うといか氏がランリュックをビジターセンターに忘れたらしく一人で坂を下って取りに戻っていた。(ていうかそんなでかいもん忘れるなよ・・・)ところでこのキャンプ場はわりとハイレベルなキャンパーには有名で立地条件としては電話ボックスもないし圏外だったりするし夜は真っ暗で不便この上ないのだが、いかにも知床ぉ〜って感じがしていい感じなのでけっこう人はたくさんいました。テントを立てて近くの熊の湯露天風呂に入浴しに行った後(いかさんはここでも時計を置き忘れました。そういやあ網走行きの釧網本線の列車の中にもヘルメットを置いてきたとか・・・)キャンプ場に戻り晩飯の支度をしていると、1ヶ月以上キャンプ生活してるという人から焼きジャガイモとトウキビを頂いたので晩飯はシチューとそれになった。あとは夜は真っ暗になるのでわりとすんなり寝ました。
8月26日 曇り 知床国立公園羅臼温泉野営場〜知床斜里駅
知床峠
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この日はメインの知床峠である。うっかりヒグマにご対面しないように念には念を入れてテープを流しながらペアランすることにした。登りはそんなに辛いことはなかったのですが、霧が上に行くほどひどく、途中から何も見えない状況でした。知床峠についても“知床峠”という看板は見えるのだが肝心の羅臼岳が殆ど見えない状態で少しがっかりした。峠は有名な知床峠であるので売店とか色々あるのかなあと思いきやトイレぐらいしかなく、屋台のトラックがセイコーマートで60円で売ってるジュースを100円で売っていたり、じゃがバターなんかを売っていたので、少しお腹もすいてることだし買ったりしました。それにしても夏だというのにかなり寒かった・・・。
しばらく休んだ後峠を下っていくと知床自然センターがありここでなんか土産物を少し買ったような気がする。ちなみにいかじゅうさんはヒグマ出没注意という韓国製の帽子を買っていらっしゃった。そしてウトロまで出るとここは巷ではけっこう有名な漁港でありオロンコ岩をみたりして、いかじゅう氏のお勧めの店でうにいくら丼2000円を堪能。(たまにおいしいもんを食わんとね。)で、すっかり満足した後店を出るといかじゅうさんはまたもやランリュックを店内に忘れ、店の人に呼び止められていた。(忘れすぎです)んでまた少し行くと三重の滝があり、これはしょぼかったんですがオシンコシンの滝は有名なだけあり壮大でした。
ところでこの日はクリオネ牧場キャンプ場に行くか駅寝にするか迷ったんですけどキャンプ場がけっこう値が張るという情報を入手したので駅寝にしました。と、駅に着いたとたん雨が・・・なんて運のいいことでしょう。しかも駅の横に屋根つきスペース約6畳があり、しかも近くにスーパーやコンビニがあり立地条件や状況はばっちりでした。
オシンコシンの滝
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晩はぼくの要望でニュー麺と豚しょうが焼き(理由は両方安く買えたから。)ニュー麺は100円で4人前くらいできたのでけっこうおなかいっぱいになった。またしょうが焼きをコッフェルでやったので油汚れがひどかったらしく洗うのが大変だといかじゅうさんは言っておられた。
〜いかじゅうさんへ...ちなみに別にいかじゅうさんが洗いもの係って決まってるわけじゃないけどほっといたら勝手に洗ってくれるので何となくそういうふうになってしまってるわけです。別に彼に洗物を強制しているわけじゃないので、一言洗ってって言ってくれれば私も全く温厚な人間なので反発することなく従うのですが・・・。それでも気を使って半分くらいは色々作業を担っていましたけど・・・だめっすか?〜
晩、駅寝の人が我々以外に2人いたが殆どしゃべらず一人で夜遅くまでラジオを聞いていた。旅先でたまに夜ラジオを聞いているとけっこう落ち着いていい感じなのだ。この日も北海道ベストテンとかいうのを聞いていたらグレイの曲が流れ普段はどうってことない感じなのだが、けっこう北海道の地に意外とマッチしてるなぁと感じた。むかし松山千春の曲の良さがわからん人間は北海道の大原野に行ってそこで彼の曲を聞くとそのすばらしさがわかるってかいてある本がありましたがつまりそんな感じですかね?
8月27日 晴れ 知床斜里駅〜呼人浦キャンプ場
網走刑務所
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この日はかなりいい天気であった。今日の予定は午前中だけ走って午後から去年も行ったんだけど、網走市内観光と決めていた。だから朝も早く出発したと思う。途中、涛沸湖や小清水原生花園、夏場だけ列車が停車する原生花園駅がありそこで一服することに。ここは6,7月あたりにいっぱい花が咲き乱れて綺麗なところだが、今の時期は花というよりうっすらとした緑が広がっていて時期はずれなのだが個人的には天候も抜群だしけっこう良かったと思う。そしてお昼頃に網走駅に着いた。
駅前のローソンで昼飯を済ませた後、去年逃した網走刑務所に行くことにした。ここはさすがホンモノだけあって鏡橋や正門など博物館と違って迫力があった。が、一般客なので中には入れず土産もん屋をうろついてすぐ博物館のほうに向かった。ぼくは去年の98年北海道ツアーで監獄へは行っていたので入らずいかじゅうさんだけ見学することになった。(実際は裏からちょっとだけ入りましたが・・・)いかじゅうさん曰くけっこう楽しかったとのこと。それから天都山頂上にあるオホーツク流氷館へ・・・これはまさか山の上にあるとは思わないので、着いたときには汗だくであった。だから防寒具をつけずにそのままマイナス20度とかいう流氷体験部屋へ入りました。いやあほんと快感でしたよ・・・。それと屋上に展望台なるものがありました。夕方、去年も泊まったぼくのおすすめキャンプ場である呼人浦キャンプ場に着いた。ここで網走湖畔の夕日をバックに写真をとったりした後、晩飯に・・・が、湖畔だけあって蚊が多いことを忘れていた。晩飯後、少々一服してから網走ビューホテルへ入浴しに行った。
ここでとある事件の真相を・・・
そのホテルは去年も利用したところでコインランドリーがあるので、いかじゅうさんが“洗濯するから洗剤貸して”っていってきたので、ぼくの分の洗濯物もちょっとあったし、ついでに一緒に洗ってという交換条件かもしくは洗濯物の量相当の代金を払うので同じ洗濯機でついでに洗わしてといかじゅうさんの前で言い、洗濯するときも彼が見ている前で自分の洗濯物を入れた。が、何故かいかじゅうさんはそのことをすっかり忘れてしまい、非情にもぼくの洗濯物が他人が無断で勝手に嫌がらせか何かで入れたものだと勘違いし、洗濯物を洗濯機から排除しまったのである。そんな中、風呂から出てきて洗濯物ができているか見に行ったところこういう事態が起きているので、それはもうかなり激怒しましたね。。。どうゆうことやねん!!ってな感じで・・・。だってぼくの服がその辺に捨てられてたら誰だって怒るでしょ。いかじゅうさんいわく逆ギレとか言ってますが、逆ギレではありません正ギレです。そしてさらに彼はぼくの逆鱗に触れることに・・・。コインランドリーはとある大学の野球部の人たちが大勢とまっていたらしく大変混雑していてやっとのおもいで洗濯機が確保でき、この洗濯機や乾燥機を途中で手放すものならあと100人待ちといったぐらいの状態の中、いかじゅうさんはまだ洗濯物が全然乾いていない状態で取り出してしまったのです。おそらくいかじゅうさんは後の人のことを気遣ってそうしたのでしょうが、私の価値観からして洗濯物は乾かなければ意味がなく汚れ物と殆ど変わらないのです。そんなことで途中までお金を払い無駄な荷物(衣類)を増やすよりも、後の待ってる人なんてどうでもいいから自分の洗濯物が乾ききるまで堂々と乾燥機かけるべきなんですよ。乾燥に時間がかかるのは私の責任ではなく乾燥機の性能が悪いんですから・・・。なんて思いながらいかじゅうさんがあきらめてテントに帰ってからもしばらく乾燥機かけてましたねぇ。
テントに着くとおそらくいかじゅうさんは寝てました。なんか自由なひと時を過ごしていたようで・・・。
8月28日 晴れ 呼人浦キャンプ場〜道の駅上湧別
能取湖
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この日のルートは去年も通ったサロマ湖を右手に快走するルートであった。いかじゅうさんはこのあたりが初めてなんでゆっくりまわったと思いますが、僕としましては一回見たところは、はやく流したいので、キャンプ場でさっさと別れて先に出発しました。わりといい天気なので写真も何枚かは撮ったと思う。途中道の駅サロマ湖あたりでホタテ焼きなんかをご賞味し、午後2時前くらいに国道242号線にはいるところのセイコーマートでヒヤムギやパンなどのお昼を食べ、まだまだはやいからちょっと今日泊まる予定の上湧別五鹿山公園キャンプ場へ下見に行きました。が、この公園はゴルフ場などのスポーツ広場が設けられていてその一角にキャンプ場も併設されているというもので、どこがキャンプ場なのかはっきり見つけられなかったのだが、経験上おそらく山の奥地にひっそりと存在しているものだと予想し、そのキャンプ場に行くことを辞退したのであります。
そしていかじゅうさんとの待ち合わせ場所である道の駅上湧別に戻ってきて、そこに併設されている漫画美術館や漫画図書館でひたすら一服していると夕方4時ぐらいにいかじゅうさんと出くわし5時か6時の閉館になるまでそこで漫画を読んだりしていつづけた。この道の駅は去年も何時間を時間を潰したところですがそれでも飽きないですねぇ。。。で、そろそろ晩時なのでご飯を作らなければならない、いちおういかじゅうさんに今日はここ道の駅上湧別で寝ることにしようといって、設備が整いすぎで綺麗なトイレの前でご飯を炊いてレトルトのカレーをかけて食った。〜そういやあぁなんかチャリダーのおじさんが途中話し掛けてきた記憶が・・・。〜その後近くの本屋やセブンイレブンをうろうろしアンパンなんかを買って食べて寝ました。ところでキャンプ場でもないところなのに私たち以外にテントを張ってる人がいました。やはり北海道はどこで野宿しててもかまわないところがいいですねー。
8月29日 曇り 道の駅上湧別〜道の駅興部の無料宿泊所
道の駅紋別内オホーツク流氷科学センター
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さて、そろそろ未知の道北へ突入か??サロマ湖を過ぎるとおそらく宗谷岬まで観光地はなく、去年はSさんたちを連れてのツアーだったから何もないところをひた走るとSさんは文句を言いそうなので、この日のために道北はとっておいたのです。まあいかじゅうさんはその点もくもくと走るタイプだと思うので・・・。案の定この日からはあまり天気にも恵まれず、たいした観光地もないまま過ごしました。しかし今思えばこれが道北の姿であり北海道そのものだと思う。車も道東よりもさらに少ないし・・・
とりあえず道の駅紋別にあるオホーツク流氷科学センターがあったので入りました。網走でも流氷科学館に入った(←こっちのほうが有名。)のですがこの道の駅に併設されてるほうが入館料80円で設備も整ってるし、流氷体験ルームは網走にあるそれよりもさぶい!!!かなりお得です。この日はけっこう天候がすずしめだったので本当に体験コーナーは激寒だった。。。お昼は相変わらずセイコーマートでカップめんとクリームドーナツを食べた。はっきし言って紋別辺りからはローソンやセブンイレブンが姿を消し、セイコーマートの独占状態なのです。
ところでこの日も泊まる場所変更しました。本来ならば日の出岬キャンプ場で近くに銭湯もあるということでそこにしようと決めていたのですが、途中に道の駅興部があり、そこに併設されてある列車を利用した無料宿泊所に魅了されてしまいまして、道の駅にいたおばちゃんに申し込んでチェックインしたのです。そんときの時間がだいたい3時過ぎで1時間もしないうちに満席になっていました。(先着10名)チェックインして道の駅館内で一服していたところ、とある観光客が“このあたりの名物って何?”と道の駅の受付のおばちゃんに聞いたら、そのおばちゃんは“牛乳かな?”といい、とある観光客が“どこに売ってるの?”とたずねたら、おばちゃんは“むこうのスーパーに売ってるよ。”と答えていた。おそらくその観光客はお土産だとか名産だとかいった意味で聞いたのにごく普通のスーパーをさされてもねぇ〜。ちょっとおもしろいやりとりであった。。。で、確かこの日は日曜日だったので道の駅近くに公衆浴場があったのですが、閉まっていました。ここでの風呂を逃し結局猿払温泉までおあずけになったのはちとつらかった。晩飯はごはんがすすむくんのマーボー春雨とデザートにフルーチェを食べました。久々の建物の中での夜は最高であった。
8月30日 曇り 道の駅興部の無料宿泊所〜ウスタイベ千畳岩キャンプ場
オホーツク国道
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相変わらず快晴にはならないのだろうか、夏の気圧配置は南高北低、冬の気圧配置は西高東低でいわば北東部分つまり道東道北地域は常に気圧の谷となるようだ。なんともテンションは下がり気味でいかじゅうさんともあまり会話もしないままひた走ることに・・・。観光地がいっぱいあるところは気が紛れるが、何もないところは気を遣う人同士で行くのはかなりストレスになるでしょう。まあその分いかじゅうさんは、全然気にならないタイプなんでやりやすかった・・・ていうか好き勝手にできるし。。
途中、道の駅おうむやマリーンアイランド岡島なんかがあり、展望郭があったのでオホーツク海を何となく見ただけで、目的地のキャンプ場にすぐに向かった。と、その前に晩飯の買出しをしなくちゃならないので、枝幸町市街のスーパーで釜飯などを買った。キャンプ場に行くと、鹿児島から日本縦断をしているチャリダーに会い、なんと4月から家を出ていっこも帰っていない、大学を休学して命がけ(冗談)のツアーといってました。(すごいでですねぇ。そういやあ興部の無料宿泊所にもいましたよそんな輩が・・・。)
ところでこのキャンプ場は広すぎです。逆に落ち着きませんでした。テントは3張りぐらいあっただけで、延々と広いサイトの向こう側に千畳岩なるものがあり、岩を打ち砕く波の音が寂しげに響きわたる環境でした。この日の晩飯は釜飯でいかじゅうさんはベストな出来だと絶賛されておられたようで、僕としては、おいしかったことはおいしかったんですが、当たり前の釜飯の味じゃないか?なんて思ってましたけどね。おそらく疲労と寒さで普段よりもおいしく感じられたんでしょう。。。あっそれとものすごい蚊の大群に見舞われてゴアを装着しての晩飯風景でした。
8月31日 雨 ウスタイベ千畳岩キャンプ場〜猿払公園キャンプ場のログハウス
猿払村の風車
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朝からたいした量の雨が降ってました。まわりのキャンパーもいっこうにテントから出てこない様子で、僕としましてもいやぁ〜な状態であった。それでもこんなだだっ広くて何もないキャンプ場で過ごすよりかはとりあえず外に出ようと思い、出発の準備をしていたところ、あるご夫婦がワゴン車でやってきてにぎりめしをくれ、それを朝飯にして出発した。やる気ないないモード炸裂のだらだら走行で、浜頓別まで行きこのあたりのセイコーマートでお昼とホクレンで給油半リットルを手に入れた。そういやあクッチャロ湖なるものがあったがめんどくさいので、遠目に眺めてながすこととした。猿払村に向かう途中のパーキングシェルターがトンネル内にあり、かなりぬれて寒かったので、ここで体を休めた。(といってもただのトイレ休憩所で何もないところ。)
目的地の猿払公園キャンプ場に着き、ここに1軒だけ存在する無料のログハウスに泊まることが出来た。というのも時期的にシーズンから外れているし、ほかにキャンパーはいたのですが、みんな自分のテントで間に合わせてるみたいで道の駅猿払公園の受付のおねーさんに言ったら、あっさりログハウスの鍵をわたしてくれた。(ところでこの道の駅の受付のおねーさんはけっこう綺麗で個人的にはミス猿払といってるのであります。)このログハウスは最高に良かった。あとで知った話によるとこの日道北地帯かなりの大雨で宗谷本線が1日半くらい運転を見合わせていたらしい。そんな中ログハウスの中で濡れたゴアや衣類を乾かし、ゆっくりとテントのような雨が浸透してくるという心配もすることなく、併設された猿払温泉に入って温まり、晩飯はちょっと奇妙に、もち米とゆであずきであった。(好んでしていることです。)それと、途中で札幌大のチャリダーが入れてといってきたので一緒に寝ることにしました。で、この人は一人でクラブとかは入らずにチャリダーをやっているようで、理由は冬合宿があるから入部しなかったとか・・・。(当然です!)
9月1日 晴れ 猿払公園キャンプ場のログハウス〜稚内駅
宗谷岬
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前日はすごい雨だった。こんな日に無料のログハウスにとまれるなんて、自分はなんて運がいいというか日ごろの行いが良すぎるというか・・・。朝起きると、天候は抜群で宗谷岬を目指すには絶好のコンディションだった。
昨日の晩に一緒にとまった札幌大の人は6時過ぎに颯爽と旅立っていってしまった。なんせ宗谷岬を越え兜沼のキャンプ場まで行くらしい・・・僕たちのだらだらツアーに比べて倍の距離を1日で走るから朝も早い。僕たちはあまりの天気にしばらくぼんやり過ごしたり、キャンプ場に併設されている博物館や風車の中を散策したりしてから出発した。宗谷岬に近づくにつれ少しばかりのアップダウン、何も通ってない道路、右手にオホーツク、左手には丘陵地帯というこれぞ北海道かー!!という景色に魅了され写真を何枚もとってしまった。
宗谷岬に着いたら、これまた天気がよく滅多に見れないサハリンまでが見えてしまった。このあたりの食堂や土産物屋のおばちゃんが言うには、“宗谷岬からサハリンが見えるのはあまりない”とのこと。ほんと摩周湖にしても宗谷岬にしても運河や過ぎるなー。。。とりあえず宗谷岬のモニュメントのところでチャリダーらしい一枚を撮った。それから土産物屋をうろうろし、なんか買おうと思ったがあまり大したもんがなかったのでやめにしました。いかじゅうさんはたしか最北端到着証明書なるものを発行してました。で、お昼頃なので土産物屋の2階にある食堂でホタテラーメンかなんかを食べました。ちなみにこの食堂であるものを記念にかっさらってきました。(お土産として・・・。)それから何気なくバス停留所の待合室に行ってみるとそこらじゅうの壁に旅人たちの落書きというか寄せ書きで書き尽くされていて、その中には追大のあの人や山大ラリーのあの人や・・・こんな遠くにきて知っている人の名前が刻まれていたのでちょっと感動してしまった。あ、あと展望台にも行きました。良かったですよー。
ところでもうだいぶ宗谷岬を楽しんだので、今日の泊まる場所である稚内駅目指して出発し、途中コンビニなんかで休憩を取りながら駅には夕方5時くらいに着いたと思う。駅について待合室でしばらく休んでいたところ、ここの駅の待合室の椅子の数は大量にあり、“こんなにいらんやろ!”と突っ込みたくなりますがそんなことはさておき重大な事実発覚!なんと昨日の雨で宗谷本線の一部区間が1日半も運転を見合わせていたとのこと。一見たいした雨でもないのにやっぱ奥地やら土砂崩れとかの影響でしょうか・・・。それにしても前日はログハウスに泊まれて、風呂にも入れて、濡れた服とかも乾かせて本当にラッキーだったとつくづく思い返しましたね。
で、晩飯前に駅周辺の街並みを散策し、なんとも大半が閉まっているしけしけの商店街を歩いてみたり、昔のニチイみたいな食料品やちょっとした日用雑貨、衣類がを売っている店に入り、この店も半分くらい照明が消えかかってたり、店じまいするか!というほどがらがらの棚やぽつりぽつりと商品がさびしげに並んでいたりして、むかし石川啄木が釧路を旅したときに、こんな寂しげな町ははじめてだと言ったような詩を残してるらしいが、釧路なんてぜんぜん都会だし、こっちのほうがはるかにさびれてるって思いましたね。夜は店とかほとんどないに近いていうか早めに閉店したり、やる気ない店ばっかなのでセイコーマートでチキンカツ焼きそばとクリームドーナツ、クリーミーチーズケーキを買って食った。ところで次の日は朝早くから輪行して札幌に向かわなければならないので、晩のうちに自転車や荷物をまとめてから駅寝しました。(さすがに結構寒かった。。。)
9月2日 曇り 稚内駅〜札幌駅(輪行)
旧道庁
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自転車旅行も終わり今日から輪行アンド歩いての観光デーです。とりあえず稚内駅6:44発の名寄行き列車に乗り込んだ。たしか2両くらいだったと思う。名寄に着くまではサロベツ原野を少しと鬱蒼とした緑の中を抜けての列車旅である。途中不快なことがひとつ、肥溜めに落ちたんと違うか?と思うほどにおう人が乗ってきたことだ。が、これも都会の浮浪者のにおいとは別になんか自然の匂いなので逆にそう腹たつことはなかった。名寄で快速に乗り換え旭川まではけっこう街並みが見えたりして思いのほか早く旭川に着いたと思う。
旭川に着いたころちょうど雨が降り出してきてたので、駅の外に出ずに構内のそば屋で冷やしそば定食なんかを食べて、去年の98年北海道ツアーでもやったが駅のスタンプ集めにのぞんだ。が、なんと駅スタンプが心無い人が持っていってしまい無くなっちまってるとのこと。。ほんと悪質ないたずらはやめてほしいものです。午後1時半ごろか旭川から札幌まで、途中岩見沢で乗り換えたんかは定かではないが輪行し、札幌駅に着いたのは夕方の4時過ぎ。相変わらず大通り公園や時計台、旧道庁、テレビ塔を、去年も行ってるし、場所とかわかりきっているので適当に流しみしてました。また去年は晩飯に時計台ラーメンでコーンバターラーメンを食べたのですが、今回は無性にチャーハンが食べたくなり、ラーメン屋はいっぱいあるのだがチャーハンもやってるところは極めて少なく4kmくらい歩き回って探し当てて食べました。で、この日は札幌駅で駅寝。因みにいかじゅうさんはというと無計画だからなんか大通り公園で凍えながら寝てたとか・・・詳しくは彼のHPを見ればわかることです。
9月3日 晴れ 札幌駅〜苫小牧駅(輪行) 苫小牧港〜太平洋フェリー
太平洋フェリー
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この日は昼まで自由時間と決めていたので北大観光をした。ていうか北大は広すぎです!キャンパスがひとつの町くらいの面積があるのではないかと思うくらい、駅も近いしこんな立地条件でこんな場所を占領していいのか?と思うくらいあった。構内には病院から生協、銀行、図書館、食堂とあり、4年間構内だけで生活しようと思えばできるなと思うほど施設が充実していてわが大学もこれを見習ったほしいものだと思いましたね。
と、そんなことやってる間に時間が迫ってきたので生協で北大弁当を買って札幌駅に行き、いかじゅうさんと再開して列車に乗り込み苫小牧まで向かった。駅のダイエーでちょっとした土産とフェリーの中で食べる食料を買い込んで、自転車も組み立てて、いざ苫小牧港へ・・・と思った矢先、バーエンドバーにぶら下げていたペットボトル1.5Lがタイヤにあたり大破して散らばってしまった。しかもブレーキの効きが砂糖水でべたべた・・・やな感じになってしまった。まあジュースは途中サンクスで桃の天然水を買いなおしましたが・・・。で5km走りフェリーターミナルに着き手続きをして乗船場へ。この船はちょっと古めの船で9月からは季節割引で運賃が半額になるというから名古屋港に着くんだけど試しに乗ってみたやつです。一応2等和室に場所を確保していたんだけど、寝るときになって部屋に戻ってくると、寝相の悪い人がかなり場所を占領して寝ていたため、急遽展望室へ行くことに・・・ここはエアコンの効きもいいし、静かで穴場でした。だからこの日は展望室で寝ました。というかここ最高っっー!!!ある意味スイートに匹敵する!!
9月4日 晴れ 〜仙台港〜
まあいわゆる船の中で過ごしてました。暇で暇で・・・なんともぶらぶらしたり、風呂に入ったりといったところでしょうか・・・。たしか船長のトークショーや演奏会、船長室の見学があり、そういうことで時間潰ししてたようなかんじであった。。。まあ詳細を述べるといろいろ書けるのだが、面倒なのでそのうち気が向いたら書き足しますんで。。。
9月5日 晴れ 〜名古屋港 名古屋駅〜自宅
いやーようやく家に帰る日ですねえ。名古屋港に着き、駅まで走って輪行し、名古屋駅〜米原駅〜大阪駅〜三国ヶ丘駅で自宅って感じ。たしかいかじゅうさんは名古屋駅でしばらくぶらぶらして旅の余韻に浸っていたとのこと。ぼくは名古屋は何度も行ったことがあるし、早めに家に着きたかったので、ほって帰らせてもらいました。
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